穂高あめ市
2012年 02月 05日今日は、穂高神社の駐車場を会場に、
百選ウォークラリー、つきたてのお餅やつみっこ汁のふるまい、
穂高太鼓の演奏、松本山雅のサイン会、松本ドリームガールズのライブ、などなど
盛り沢山のプログラムとなっていました^^
(松本ドリームガールズは、インフルエンザに罹ってしまったそうで^^:
ライブは中止となり、一部で、非常に残念、という声も?^^;)

会場には、ゆるキャラ、アルクマ君も^^
子供に大人気のアルクマ君ですが、みんなに触られるせいか、ちょっとお顔が汚れ気味?^^;

しかも、こんなポーズまで見てしまったので@@;
アルクマ君に対するイメージが、少しばかり、変わってしまいました!><;
(カワイイりんごチャンのイメージなので、どうぞ、休む時も、ポーズ考えて下さいね!^^;)

昨年は、ふるまい中心だったので、今年は、百選ウォークラリーに参加し、
穂高中心部をたまには歩いて見て回ることにしました^^

まずは、「十王堂」です。
穂高神社より国道に向かって歩き、旧道を右に曲がってすぐの細い路地を入って行くと、
人家の敷地内に、ひっそりと建っていました。
ガイドの方のお話では、この「十王堂」は個人の方の所有なので、いつもは公開されていないそうで、
今日だけ特別に観覧を許可して下さったのだそうです。
「十王」とは、仏教において死後に死者を裁く10人の裁判官のことで、
死後7日毎に7回の裁判を行なうとさているそうです。
一番前列の真ん中にいらっしゃる「仁王様」は、700年位前のものだそうで、
大変貴重なものを見ることが出来ました^^

こちらは、「庚申塔」
庚申講(男性中心の60日に一回の夜遠しの集会)の本尊である青面金剛と、
二十三夜塔(月の二十三夜に女性が集まる集会)
享保(約300年ほど前)とありますから、かなり古い代物ですね^^;

このお店は、先日受けた安曇野検定の問題にも出題されていた
明治時代の自由民権運動家「松沢求策」の生家だそうで、
昔の民家の雰囲気を今に留めている貴重な建物ですね。

こちらのお家も、シャチホコのような飾り瓦が、とっても立派です^^;
その他にも、いろいろ見て回りましたが、写真を撮るのを忘れてしまいました^^;

穂高神社に戻ると、穂高太鼓の演奏の最中でした。

昨年頂いた「つみっこ汁」は終了してしまい、今年は食べることが出来ませんでしたが、
「ふるまい餅」は、頂きました^^(ご馳走さまでした~^^;)

今年は、寒い日が続いて、沿道にもまだ雪が残っていたせいか、
昨年より、参加者が少なかったのではないか、という感じがしました。
午前中は、日射し穏やかなお天気でしたが、午後からは、次第に曇ってきたので、
イマイチ人足が伸びなかったのではないか、と思います^^;
今年初めて参加した百選ウォークラリー、
今日だけ特別公開してくれた「十王堂」を見ることができたのが、とってもよかったです^^v
拾ケ堰-あずみ野やまびこ自転車道
2011年 04月 14日「RYOと彩の安曇野水物語」という映画が安曇野市の協力を得て制作され、
今週末の16日に穂高交流学習センター「みらい」で上映会が開催されることになっています。
今日は、その安曇野の歴史を変えた「拾ケ堰」をご紹介したいと思います。

その昔、安曇野は、地下に水がしみ込んでしまう乏水地域で(大昔は湖だったと言われています)
そのため、古くから農業用水に恵まれず、耕作地に適していなかったため、
村民の生活は困窮を極めていました。
江戸時代の1800年頃、庄屋が中心となり農業用用水路である堰の開削を計画したのですが、
その堰の完成までには、大変な苦労と犠牲があったと伝えられています。

拾ケ堰(じっかせぎ)のじっかは、「十ケ」という意味で、
10の村を巡って流れたため、名付けられたと言われています。
以前から一度は、「拾ケ堰」に沿って整備された「あずみ野やまびこ自転車道」を
始点から終点まで自転車で走ってみたいと思っていました。
(昨年は、総距離の約1/3走っただけでした^^;)

暑くても寒くても15kmの距離を自転車で走るのは大変そうなので、
北アルプスがよく見える春の晴れた日に実行することにしました。
まずは、拾ケ堰は奈良井川から取水しているということなので、
地図を頼りに取水口を探します。

国号19号線沿いに流れる奈良井川のこの水門の横に
拾ケ堰の取水口、始点があります。
(梓川の水量は、季節によって変動が大きかっため、
水量が1年を通してあまり変化のない奈良井川の方が、
取水するのにふさわしいということだったようです)

ここから取り込まれた水は、一旦梓川の下に掘られた穴を通って、梓川を横切り、
遥か15km先にある烏川に流れ込む排水口目指して堰を流れていきます。
しばらく松本市島内の田園地帯を流れた後、
ラーラ松本(ゴミ焼却所)辺りで一度地下に潜り、
梓川の対岸にある排出口まで梓川の下に掘られた穴を通って梓川を横切っていきます。

取水口より排出口の方が標高が高いそうですが、
これは標高の低い所から高い所へ水を移動させる時に有効な
逆サイフォンの仕組みを利用した押い水という方法だそうです。
昔は、このような地下を通る穴を掘ることはできなかったため、
梓川を土塀で固めて横堰を作り、水を流したそうですが、
梓川の水が増水すると、すぐに横堰は流されてしまい、
修復するのに大変な苦労があったそうです。

そして、ここで、再び地上に出て、標高差わずか5mの傾斜を15km先の烏川合流点まで
途中、多くの用水路に農業用水を供給しながら、ゆっくりと流れていきます。

これは、平成になってから堰の水を梓川の下を通って流すために、
逆サイフォン用の穴を掘った時に使用したドリルの先端だそうです。
長野県道441号穂高松本塩尻自転車道線、通称「あずみ野やまびこ自転車道」は
松本市を経由して塩尻市本山宿から、この地点で拾ケ堰に沿って烏川まで走っています。
(本来は、起点は烏川で、終点が本山宿となっているようですが、
北アルプスの風景を眺めながら走りたかったので、今回は起点に向かって走りました。)

安曇野市豊科地区を流れる拾ケ堰。
安曇野市堀金あたりまでは、水は西側の北アルプスに向かって流れていくようで、
とても不思議に思えます。
一見、水は標高の高い方へ流れているように見えますが、
実は、拾ケ堰は、測量により同じ等高線上(標高)にある地点を掘削して作られたそうです。
(昔の測量機器は簡単なものであったようですが、その技術力と知識の高さには驚きます)

ゆっくりと流れる水面に、雪をかぶった北アルプス(常念岳)が
水鏡のように写って、とても綺麗ですね^^

ここは、有名な桜の撮影スポットですが、
堰に沿って植えられた桜はまだ開花していませんでした。
しかし、このところの暖かさで今週末までには開花し、
来週には、満開の桜をバックに北アルプスの美しい風景を撮影することができそうですね^^

堀金を過ぎると、堰は直角に急カーブし、穂高地区を抜け、烏川にある放流口を目指します。

ここが拾ケ堰の終点、烏川との合流地点です。
ここに来ると、あんなにゆっくりと流れていた水が勢いよく烏川に流れ込んでいます。

この先、烏川は穂高川に合流し、そして穂高川は犀川に流れ込みます。
ここまで、15km、途中休憩を入れて、4時間余り、何とか完走しました!^^
(ほとんど往復した訳ですから(30km?)、長かった~^^;)

安曇野の風に吹かれながら、ゆっくりとペダルをこいでいると
不思議と爽快な気分になってきます^^
これからの季節、美しい北アルプスの山並みを眺めながら、
拾ケ堰を巡る自転車の旅は、きっと忘れがたい素晴らしい思い出となることでしょう^^
自転車は、穂高駅前の「ひつじ屋」か「しなの庵」でレンタルすることができます。
穂高あめ市
2011年 02月 06日穂高神社周辺で行われた穂高あめ市も、穏やかなお天気の中、
大勢の見物客で賑わっていました^^

あめ市の由来ですが、知らない方のために^^;
(私も、もちろん、全然知りませんでした^^;)
今から430年前、甲斐の武田と対峙する今川、北条両氏は、
すべて山国だった武田領(甲斐・信濃)への塩の商いを禁止したのですが、
越後の上杉謙信はこれを聞き、「戦いは兵をもってするものだ。」と言って、
自領はもとより他領の商人に対して値段を上げることなく塩を送ることを命じました。
これを記念し始められた塩市が起源といわれています。
ちなみに、松本あめ市、豊科あめ市は、すでに終わっています。
(この両方のあめ市を見物したかったのですが、都合で行くことが出来なかったので、
今日の穂高のあめ市は、楽しみにしていたのでした^^)

それで、何故、いつ頃、塩が飴に変化したのかは、よくわかりませんが・・^^;
一応、飴は売られていました。
(飴市なので、もっと沢山の種類の飴が売られているのかと思っていたのですが・・・?^^;)

縁起物のだるまもあります。
こんなにいろいろな色をした達磨もあるんですね^^;

しかし、何と言っても、今日の目玉は、コレ^^
穂高地域の昔からの郷土料理「つみっこ汁」のふるまい!

へぇー、今流行の「B級グルメ」に参戦するんですねぇ~?@@;
(今更?という感も拭えませんが・・・^^;町興しですね、頑張って下さい!)

入っていたものは、大根、ネギ、エノキダケ、そして、そばがき!
こちらが、味噌味で、下のが醤油味です。
見た限りでは、ほとんど区別がつきません^^;

これで、無料だなんて、嬉しい限りですね^^
つみっこ汁を頂こうと、大勢の人が並んだので、すぐにふるまい終了となりました^^;
(これだけ人気があれば、B級グルメ、イイ線行くかもしれません?
つみっこ、という料理名もなかなかカワイイですし・・^^;)
素朴な郷土料理の味で、とても美味しかったです^^
(どちらに投票しようか迷いましたが、私は醤油、娘は味噌でした^^;)

そして、子供達による「穂高太鼓」
このグループは、お船祭りの時にも演奏していましたね^^
1時間にも及ぶ演奏、お疲れ様でした。
獅子舞も出てきて、見応え、聞き応え十分でした^^

そして、信州デスティネーションキャンペーンのマスコットキャラクター「アルクマ」くんも登場。
写真を撮って気づいたのですが、キャラクターの原型は、クマ?というより、リンゴ?なんですね?^^;
(気付くのが遅過ぎっ!と突っ込まれそうですが・・・^^;)

安曇野百選プロジェクトのウォークラリーもやっていました。
次から次へと参加者がエントリーしていくので、盛況だったようです^^

そして、もうひとつ楽しみにしていたのは、つきたてのお餅のふるまい^^
危うく手をついてしまいそうになる場面もありましたが、無事、美味しいお餅が出来上がりました^^

これも無料だなんて、太っ腹!
つきたてのお餅は、柔らかくて美味しかったです^^
(結局、目的は、食べ物だった?いえいえ、あめ市とはどんなお祭りなのか知りたかったもので・・・・^^;)

あめ市の終わる頃までは、穏やかなお天気で、
その後、風が強く吹いてきましたが、それも春一番を思わせる暖かな南風?

ふと見ると、近くの桜の木の枝には、大きく膨らんだ花芽が柔らかな日差しの中で輝いていました!^^
(桜が咲くのは、まだまだ2ヶ月余りも先の話ですが・・・^^;)

日中は暖かくても朝の最低気温は、まだまだ-6.1℃と寒い安曇野ですが、
ひっそりと、でも着実に、春の準備は始まっているようです^^
芦ノ尻道祖神
2010年 12月 15日「芦ノ尻道祖神」という一風変わったユニークな姿の道祖神に遭遇しました^^;

道祖神は、昔の人が、村に邪気や厄が入ってこないように、村の入り口に道祖神を祀り、
無病息災を願ったと言われていますが、
石像であることが多く、縄で作られているのは、長野県では珍しいようです。

これがその、道祖神です。
見れば見るほど、ユニークな顔をしていますね!^^;
縁結びの神様としても祀られているそうで、、
正月の松飾りのしめ縄で、毎年1月7日に作られるそうです。
なので、毎年、顔が少しずつ違うようで、
来年また見に来ると面白いかもしれませんね^^

そして、この道祖神が真っ直ぐ前を見据えている先には、こんな風景が広がっています^^

北アルプスを一望できる見晴らしの良いこの場所で、
昔からず~と、この美しい風景を眺めてきたというのですから
なんとも羨ましい限りですね!^^;
今回は、ちょっと前の写真のUPで申し訳ありませんが
最近、北アルプスが雲に隠れて姿を現さないので、その姿が懐かしくてUPしました^^;
ちなみに安曇野の道祖神は、

石に彫刻された双体道祖神が多いですね^^
しかも、とっても男女仲の良い円満な雰囲気で微笑ましいです^^
この道祖神は、数ある道祖神の中でも、特に好きな道祖神です^^
(そう言えば、道祖神についてまだUPしていませんでした!@@;
安曇野と言えば道祖神、というイメージが強いのに、うっかりしていました^^;
道祖神は、知れば知るほど奥が深いようで、
詳しくは、もう少し勉強してからUPすることにいたします^^;)
穂高神社 御船祭り
2010年 09月 27日穂高神社のHPによると
「船型の山車に穂高人形を飾った大小5艘のお船が笛や太鼓の囃子(はやし)にのり、
氏子衆によって神社へと曳き入れられます。
勢揃いした御船のきらびやかな様子は、歴史絵巻を見るかの様です。
境内を練り、神前を曳き廻るうちには、お船が激しくぶつかりあい、
その壮大な迫力に、時のたつのも忘れてしまいます。」
とありました。
まだ一度もお船同士がぶつかり合うのを見たことがないので、今日はとっても楽しみです^^

朝は小雨が降っていてお天気が心配でしたが、その後雨は止み、
午後からは曇ってはいましたが、雨は降らないようで、見物人がぞくぞくと集まってきていました。

稚児による浦安の舞が始まりました。

雅楽の調べに合わせて、初々しい巫女さんによる優美な舞です。

そして、子供達による穂高太鼓。
なかなか勇壮な響きです。

お船も境内に、綺麗に飾ってありました^^
これは、子供のためのお船です。





そして、大人のお船。


これも、大人のお船。


穂高太鼓の後は、宮司により氏子代表と共に例大祭が厳かに執り行われ、
その後、いよいよ御船祭りも最高潮を迎えます。

まずは、子供のためのお船の引き回しです。
境内を3回廻った後退場します。

その後、大人のお船が登場し、待ちに待ったお船のぶつかり合いが始まります!^^

最初に、一艘の船が境内に入り、その後、もう一艘が入ってきて、お互い睨み合うように対峙します。
そして、思い切り、お船を引っ張って、両者を激しくぶつけ合います!^^;

安曇野(長野県)に海はありませんが、
奥穂高岳に天降ったとされる穂高神社の主神、穂高見神(ほたかみのかみ)は、
海神「綿津見神(わたつみのかみ)」の御子神であり、
綿津見神は北九州に栄え、海神族である安曇族の祖神(おやがみ)として敬われていた存在でした。

この北九州にいた海神族の安曇族が海路を使って日本海から姫川に入り、上流に遡り、
安曇野に辿りつき、移り住んた地を安曇野と呼んだという説が有力です。

この説を裏付けているのが、この御船祭りで、海のない安曇野で行われる御船祭りに、
安曇野に住んでいたとされる安曇族、すなわち海神族の名残りを認めることができるとしています。

このお祭りがいつ頃から始まったかは定かではありませんが、
悠久の昔の歴史的ロマンに想いを馳せながら、御船祭りを見物していると、
この安曇野の地に根付く御船祭りを、代々の氏子達が大切に保存してきたことに感動を覚えます^^

何度も何度も繰り返し、激しくぶつかり合う二つのお船!
まるで、相撲の取り組みを見ているような、力と力のぶつかり合いで、迫力満点です!
(お船の上のお人形も、ぶつかる時の衝撃で、壊れたり、倒れたりするほどで、手加減は一切ありません^^;)

そして、最後、片方のお船が境内を後にし、お祭りは終わりを告げます。
予想していた以上のお船のぶつかり合いの激しさに圧倒されました!^^;
御柱祭といい、御船祭りといい、信州のお祭りは、勇壮で男性的なお祭りが多いですね^^
お祭りが終わってから、また雨が降り始めたので、
今日は雨に濡れずに見物できて、とてもラッキーでした^^
(氏子のみなさん、お疲れ様でした~素晴らしいお祭りをありがとうございました!)
ヒカリゴケ
2010年 08月 28日学生だった時に、武田泰淳の短編小説「ひかりごけ」を読んで、小説の内容もさることながら、
自ら光っているように見えるという非常に珍しいヒカリゴケそのものに、興味を覚えた記憶があります。
ヒカリゴケとは、どんな風に光って見えるのでしょうか?
その後、そのことはず~と疑問のまま、今に至るのですが、
岡谷市でヒカリゴケを見られる場所がある、とニュースで聞いた時には、
これは、千載一隅のチャンス!これを逃がしたら、ヒカリゴケを見る機会はない!と思い、
ちょっと遠いですが、とにかく地図を頼りに、行ってみることに^^;

ニュースでは、「唐櫃石古墳」の岩でできた石室内に4年前に発見され、その後少しずつ増えて、
今年は、かなりの範囲で生育しているのが見られる、というのですが、
ヒカリゴケのことは、あまり知られていないらしく、僅かな手がかりを頼りに岡谷市内をウロウロしていたら、
やっとのことで、「ヒカリゴケ、ここより5分」の標識を見つけました!
矢印の方向に歩いていくと、突然、道は行き止まりに!?^^;
よくよく見ると、唯一、裏山の崖と民家との間に、獣道のようなわずかに雑草が人に踏まれた跡があり、
数分前に老夫婦がその細い路地に入って行くのを見かけたので、とりあえず行ってみることに^^;
恐る恐るその30cm幅ほどの小路を辿っていくと、
(お二人の姿を見かけなかったら、それが道だとは絶対に気がつかなかったことでしょう!^^;)

200mほどで、広々とした場所に出ました。
そして、そこには古墳らしきものが!

これでしょうか?
ヒカリゴケを守るためなのか、人が入れないように入り口をガッチリと鉄柵で固めています。
果たして、目的のヒカリゴケは、この暗い古墳の石室の中に生えているということなんですが・・・・?

これですね!
確かに、穴の奥で、苔らしきものが光っています!^^
(イエ、正確には、光っているように見えるのですが・・^^;)

蛍光色の緑と言ったらよいのか、不思議な色です。

ここには、こんなりっぱな解説板が立っているのに、
ここまで来るのに必要な標識が全くありませんでした!ーー;
先に歩いていかれたご夫婦も、入り口をなかなか見つけられず、非常に迷われたそうです^^;

見れば見るほど、不思議な植物ですね。
ヒカリゴケの花言葉は・・・・あるんでしょうか!?
ちなみに、苔の花言葉は、母性愛・信頼・孤独・物思い だそうですが・・・?^^;

ヘェ~~、そうなんですねぇ。(ちょっと読みにくいですね^^;スミマセン)
光を反射して光っているように見えるということは、真っ暗なところでは、光らない、ということなんですね。
そして、夏でも涼しい環境でないと、生育しないそうで、石室の中は、一年を通して、
ある一定の温度に保たれているのかもしれません。

ご夫婦のお話では、山で時々、岩に生えているのを見たことがあるそうですが、
こんなに広範囲に生えているヒカリゴケを見たことはない、ということでした。
お二人も、ヒカリゴケのニュースをラジオで聞いて、遠くから見に来たそうで、
絶滅危惧Ⅰ種のヒカリゴケをこんなに沢山見られて、とても幸運だと話されていました^^
それもそうなのですが、幸運と言えば、いろいろ迷った挙句に、
やっとのことでヒカリゴケに辿り着けた事も、とても幸運だったような気がしている私です^^;
(せめて、入り口に標識あるとよいのですが・・・^^;
それとも、ヒカリゴケは環境に非常に敏感なので、保護のため、
多くの見物人が来ないようにと、入り口に標識立てていないんでしょうかねぇー?)
小野宿でタイムスリップ
2010年 08月 09日辰野町小野は、塩尻と三州吉田を結ぶ三州街道の旧宿場町で、
国道153号線に沿って、3軒の格子窓のある本棟造りの古い民家が残っていて、
現在でも当時の姿のまま大切に保存されています。

その内の一軒、小野宿の問屋場、旧小野家住宅です。
安政6年(1859年)3月の大火災後に建てられた本棟造りの宿駅民家で、
今では、町の指定文化財になっています。(ただし、中を見学することは出来ません)

小野宿のことは、あまり旅情報誌などで宣伝されていないので、
私を含めほとんど人に知られていないのではないかと思われます。

また、この町並みは、国道に面しているので、車の往来があって、ゆっくりと見物できない点と、
町並みも短いので、あっという間に通り過ぎてしまうのが、ちょっと残念ですが、
それでも、文化財として一見する価値のあるりっぱな建物で、その重厚さに圧倒されます。
(車で行った場合、見物するのに、駐車するスペースがないのが、難点でしょうか?^^;)

こちらは、現在でも営業されている小野酒造さん。
文久元年(1861)創業という、古い蔵元で、お店の裏に酒蔵があるそうですが、
脈々と続いているここで作っているお酒の味は、飲む前から想像できそうですね^^

「夜明け前」という洒落たネーミングのお酒が有名なようで、早速、お土産に購入しました^^

小野宿の古い町並みを歩いて見ていると、まるで昔にタイムスリップしたかのような錯覚に陥ります。
時代劇に出てきそうなりっぱな建物に、当時の様子を想像しながら、
しばし時を忘れて、散策するのも楽しいですね^^
熊倉の渡し跡
2010年 05月 23日今から300年前ほど前の江戸時代に、
安曇野と松本城のある松本の間を流れる犀川に架かる橋がなかったため、
この渡し場を往来する船は、大名行列にも使った松本藩の重要な交通手段でした。

実際に使われていた船が、渡し場跡近くの春日神社に保存展示されています。
(聞いた話によると、この船は、昭和30年代まで実際に使われていたそうです!)

現在、安曇野市内には犀川に架かる橋は、3つありますが、
橋がまだなかった当時は、雨季、夏季は特に台風の影響などで水量が多く、
川の流れが速いので、犀川を船で渡るのは、必死の覚悟が必要だったようです。

今は難なく車や電車で松本へ行くことができますが、
木々の間から見える犀川の流れはかなり急で、
この場所から向こう岸へと船で渡った当時の人々の苦労が偲ばれます。
みらい
2010年 04月 22日昨年9月12日安曇野市穂高にオープンした、
中央図書館・展示ギャラリー・多目的交流ホールなどが入った複合学習施設の名称です。
公募の結果、「みらい」になったのだそうです。

安曇野市で一番規模の大きい図書館だそうで、外観もかなりりっぱですね。
安曇野市のHPには、
「約13万冊の蔵書やCD・DVDが揃い、雑誌や新聞も充実しています。
また、図書の貸出処理では最先端のICチップを採用したシステムを採用。
あっという間に貸出手続が済みます」とあります。
ということで、中を覗いてみることに。
キョロキョロしながら歩いていたら、
展示ギャラリーの入口で、ちょっと気になるモノを発見!

遺跡です!
この「みらい」の建物が建っている場所から発掘された出土品が
展示されていました。
古代の遺跡とかいう話になると、
昔、安曇野に住んでいたと言われる「安曇族」のことを思い出します。
古代日本において「海神族」として知られ、
古事記や日本書記にも記されており、
発祥地は筑前国糟屋郡阿曇郷(現在の福岡市東部)だそうです。
穂高神社では、毎秋9月27日に「御船祭り」が催されますが、
海に近くない安曇野市に船にちなんだお祭りがあるのは、
「安曇族」の影響という説が有力です。
九州に住んでいた安曇族と安曇野の関連についての興味深い話は、
まだこの他にもあるのですが、それはまた次回ということで・・・^^;
このような遺跡の発掘は、安曇野では珍しいことではなく、
今でも、各地でいろいろなものが出土しているそうです。
ひょっとして自分の住んでいる家の下にも、
こんな遺跡が眠っているかもしれないと思うと、
ちょっぴりロマンを感じますね^^